Kagurazaka 45.Tokyoのブログ

専門誌編集者のブログです

動物写真家の写真から伝わるもの

 動物写真が好きになり、編集者という仕事柄の癖もあり、できるだけいろいろなプロフェッショナルの方々の、つまり国内外の多くの動物写真家の写真を漁るように拝見するようになった。驚いたのは、同じような場所で同じような動物を撮っていても、撮り手によって全く異なる写真になるということだ。いや、異なる写真になるのは当たり前なのだが、もっと正しく言うならば、撮り手によって写真から伝わってくるものの温度、情感、迫力が圧倒的に異なるのである。このことは、写真を撮る技量はもちろんのこととして、それぞれの写真家の出身国や属する文化圏、個々人としての宗教観や自然観などが、言い換えれば、その写真家が突き詰めれば「なぜ動物写真を撮っているのか」というピュアなところが、少なからず影響しているのではないかと予想している。

 個人的には、特に、動物たちの生き物としての尊厳のようなものが伝わってくる写真が好きだ。人間も動物も、一度きりの限りある命の一瞬一瞬をただひたすら生きているという意味では、何も変わらない。いや、人間も動物だ。偶然の産物としてこの世に生を受けて存在し、日々食べて、寝て、雄と雌が子孫を残して、やがてこの星から去っていく。その繰り返しの一瞬を担っている個体。それぞれの動物写真家が何を感じながら撮っているか、それがそのまま結果に出ているだけなのかもしれないが、被写体としての動物たちの尊さ、悲しさ、刹那さ、潔さ、等しさ、厳かさ。そういった感情を湧き起こしてくれる動物写真が、たまにある。

 プロアマを問わず、そういう写真を撮る方々と出会いたいし、自分も、そんな写真をいつか撮れるようになりたいとも思う。そして、そうした写真であれば、写真集や写真展で世の中に知られる以外にも、もっと使われるべき居場所があるのではないか。例えば、自分が生業にしている、医療分野はどうだろう。医療雑誌や医療書籍の表紙や誌面、さらにはいずれ、ホスピタルアートのような用途で活きることはないだろうか。そんなことを、最近考えはじめている。

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▲動物やその写真から思いがけず何かを問いかけられるような瞬間が、たまにある