Kagurazaka 45.Tokyoのブログ

専門誌編集者のブログです

原理原則=筋を通す

原理原則=筋を通す、ことだという。自分にとっての「筋」はなんだろう。嘘をつかない、本人に言えないことは本人の居ないところでも言わない、決定を先送りしない、時間を守る、自分にできないことは人にも求めない、ルールとマナー、そんなところか。

朝、窓から射し込む

朝、窓から射し込む光で目を覚まして、部屋の空気を入れ替えて、ゆっくりコーヒーを淹れてパソコン仕事をひとしきり。使い始めの脳は冴えに冴え、まわりの静けさも手伝って、とてもよくはかどる。少し空腹を覚えたら、トーストを焼きながら洗濯機をスイッチオン。今度はApple Musicでお気に入りのミュージシャンが選曲してくれたプレイリストを聴きつつ、溜まっていた書類や資料を読んでみる。

時計の針が進むにつれて着信が増えてきたメールのいくつかに返信したりしなかったりしているうちに、そろそろスーパーの開く時間になり、夜ご飯のための買い出しとランチ弁当の調達に出かける。帰ってきたらテレビかラジオをつけてお弁当をいただき、食べ終わったらしばし午睡の時間に。犬みたく、人間も食後は少し寝たほうがいい。

起き上がり、歯を磨き、再び仕事。ここからは少し集中して本気出す。仕事に一区切りつくのが3時のおやつを過ぎるあたりで、その頃になると腰やら首から頭やらが痛くなっているので、軽いジョギングに出かける。すると、頭がスッキリするので、本を読んだり、また仕事をしたり、夜ご飯の仕込みをしつつ、妻の帰りを待つ。帰ってきたら、夕食、後片付け、風呂、テレビ、ネットなど、いろいろ。最後にもう一度メールチェックをして、YouTubeやインスタみながら寝落ちする。

 

あれ? こんな一日でも、出社するより仕事が全然進んでる。なんでだろう?

比較的、若い頃から好き好んで

比較的、若い頃から好き好んで海外を旅したり、社会人になってからは欧米にビジネスパートナーを作ったり、まとまった休みには海外旅行にも行ったりしてきたなかで、「今思えば、あれは黄色人種への人種差別だったんだな」と思える出来事はいくつかある。悪気なくそれをできてしまうのが彼らであり、悪気ありでそれをできてしまうのもまた、彼らだ。

他方、こちらが勝手に卑屈になる、みたいなのもたまにある。ある料理家の旅番組が好きでよくみていたのだが、欧米の家庭をお邪魔した際のその料理家の振る舞いがいつもと違いすぎて、つまり、国内やアジアを旅していたときとは全然違いすぎて、見ていられなかったことがある。目が泳いでたり、ふだんしない妙に媚びるようなコメントをしたり、まあ、欧米人に慣れていないだけなんだろうけど、言葉や文化が異なるのは欧米に限ったことではないので、あれはいわゆる「こちらが勝手に卑屈になる」種類の絵だったのだろう。

他人の行動は変えられなくても、自分の行動は変えられる。これしかないように思う。自分は果たして、誰かに対して似たような言動をしていないだろうか。根拠なく、下にみたり、上にみたり。「違い」はヨコの関係であって、タテではないって、刷り込みたい。